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書誌詳細
日本鍼灸へのまなざし
- 著者名松田博公著
- 出版者ヒューマンワールド
- 出版年2010.6
貸出・返却・予約状況
- 貸出状況
貸出可能
- 所蔵数1
- 貸出可能数1
- 予約数0
- 貸出累計0
所蔵事項
- 登録番号0066601
- 請求記号492.75//Ma74
- 貸出区分通常
- 蔵書区分図書 - 一般図書
書誌事項
- 書名日本鍼灸へのまなざし
- 書名ヨミニホンシンキュウエノマナザシ
- 出版地東京
- 出版者ヒューマンワールド
- 出版年2010.6
- 内容第1章 日本鍼灸はなぜ明確にならないか
第1篇 日本鍼灸はなぜ明確にならないか
2004WFASオーストラリア大会から想う
第2篇 遙かに振り返る鍼灸日本化の過程
2006中医学交流会を傍聴して
第3篇 触れ得るものへの信仰が日本鍼灸を生んだ?
山田慶児氏の日本思想批判を再考する
第4篇 <古典>と<科学>の分裂を埋めるべき時
全日本、伝統鍼灸、両学会の合体を願う
第5篇 江戸の養生書『病家須知』が告げるもの
日本鍼灸にとって<自然治癒力>とは何か(上)
第6篇 中国医学とヒポクラテス医学の治癒力は違う?
日本鍼灸にとって<自然治癒力>とは何か(下)
第7篇 空海とヒポクラテス
日本的自然治癒力観をめぐる思索
第8篇 目前に迫る日本のわざの危機
<伝統医療>に還れ(上)
第9篇 すべては気に貫かれた統合性の下にある
<伝統医療>に還れ(下)
第10篇 人と天地相参ず 古代鍼灸の懐かしい未来
ケア・ワークモデル研究会第3回総会講演録
第2章 TOKYO、釜山、北京からの波動
第1篇 鍼灸医療にとって美とは何か
ヴァージニアさんの美容鍼灸から考える
第2篇 触診のわざ伝えたTOKYOセミナー
アメリカ人、日本鍼灸に出逢う(上)
第3篇 講義「名人の術から見えてくる日本鍼灸の特徴」から
アメリカ人、日本鍼灸に出逢う(下)
第4篇 韓国発、古典鍼灸の実力を見届ける
『東医宝鑑』に基づく金氏一鍼療法
第5篇 どんな病気も一鍼でよい
韓国一鍼学会会長・金廣浩氏に聴く
第6篇 <得気>は患者の感覚か術者の感覚か
2007オリエント北京研修会見聞録(上)
第7篇 現代中医鍼灸は鍼灸術の進化か?
2007オリエント北京研修会見聞録(下)
第8篇 吉川正子さんの接触鍼に群がる中医師
2007WFAS二十周年北京大会傍聴記
第3章 柳谷素霊・老子・ハイデッガー
第1篇 昭和鍼灸史の巨人を回顧すべき時
きみは柳谷素霊を知っているか?(上)
第2篇 古典鍼灸の丸ごと科学化を唱えた先駆者
きみは柳谷素霊を知っているか?(下)
第3篇 標準化とローカル化が切り結ぶ世界鍼灸
柳谷素霊の視点でWFAS北京大会を見る
第4篇 鍼灸理論の末梢神経学説からの転換を
傳田光洋さんの「皮膚は第3の脳」理論を読む
第5篇 原初の鍼灸を古代思想のまま理解できるか
『老子』に学ぶ究極の無としての身体
第6篇 技術的世界観に抗して、<わざ>は自分を救えるか
ハイデッガーの思索から鍼灸を考える・序論
第7篇 天の外に天あり、人の外に人あり
中華武侠ドラマから読み解く日中鍼灸比較論
第8篇 風化させたくない『チャングム』のメッセージ
四日市講演「本格的な鍼灸師への道」ライブ版(上)
第9篇 医療と養生、人生を分断させない生き方
四日市講演「本格的な鍼灸師への道」ライブ版(下)
第4章 年代記2007~2010
第1篇 医療の根本は隣人愛である
2007新年のことばに見る鍼灸情況
第2篇 「日本鍼灸は医学の構造を持たない」と家本氏
2008新年のことばに見る鍼灸情況(上)
第3篇 鍼灸学校に鍼灸の理念が確立されているか
2008新年のことばに見る鍼灸情況(下)
第4篇 どのように生きるべきかが問われる時代
2009新年のことばに見る鍼灸情況(上)
第5篇 いたずらに健康ブームに乗ってよいのか?
2009新年のことばに見る鍼灸情況(下)
第6篇 日本鍼灸への熱い想い、やってきた第2波
2010新年のことばに見る鍼灸情況(上)
第7篇 日本鍼灸が世界鍼灸になるには何が足りないか
2010新年のことばに見る鍼灸情況(下)