タイトル | 著者 | ページ |
はじめに | | |
第一章 「表現の自由」をめぐる闘争 | | |
1 私の炎上体験 | | |
きっかけのツイート/押し寄せる批判/「パブリック・エネミー」になる/ネットバトルの波 | | |
2 表現の自由をめぐる論点 | | |
アニメ表現の影響とは何か/「公共の場所」とはいかなる場所か/名作の「アップデート」は認められるか/作品解釈の多様性 | | |
3 表現の自由とヘイトスピーチ | | |
表現の自由のコストを誰が負担するのか | | |
第二章 ソーシャルメディアの曖昧さと「権力」 | | |
1 ネット炎上とはなにか | | |
「間メディア環境」におけるネット炎上/「間アプリ環境」の出現 | | |
2 文字だけのコミュニケーションの困難 | | |
闘うパソ通ユーザー/言葉が人間をつくる | | |
3 メディアとしてのインターネット | | |
インターネットのコミュニケーション特性/曖昧なソーシャルメディア/メッセージ解釈のズレ | | |
4 対等性と社会関係の摩擦 | | |
ソーシャルメディアの対等性/ソーシャルメディア内の「権力」/「アテンションへの注目」と過剰評価 | | |
第三章 エコーチェンバーの崩壊と拡大する被害者意識 | | |
1 被害者の地位をめぐる競争 | | |
ネットバトルにおける被害者意識/「傷つきやすさ・弱さ=純粋さ・誠実さ」/非難される被害者 | | |
2 米国における政治的分極化とその背景 | | |
イデオロギー的分極化と感情的分極化/意見産業化・激怒産業化するメディア/被害者政治の背景/偽りの分極化はどのように進行するのか/「嫌がらせ」としての政策志向 | | |
3 怒りのソーシャルメディア | | |
インターネット上での対立はどのように説明されてきたか/緩やかなエコーチェンバーの崩壊/「聞いて」はいるが「耳を傾けない」/「火事と喧嘩はネットの華」か?/被害者政治の帰結 | | |
第四章 「不寛容な寛容社会」とマスメディア批判 | | |
1 変化する日本社会 | | |
座席交換をめぐる論争/品行方正になった日本社会/寛容さの広がりと個人化 | | |
2 マナー向上のパラドクス | | |
新たな迷惑行為の発見/乱反射する迷惑 | | |
3 マスメディア批判の焦点 | | |
マスメディアは信頼されているか/批判される原因はなにか/迷惑行為としての取材/変化する記者 | | |
4 「不寛容な寛容社会」の持続可能性 | | |
快適さの代償 | | |
第五章 二つの沈黙、二つの分断 | | |
1 ソーシャルメディアは民主主義にとって危険なのか | | |
危機に瀕する民主主義?/民主主義国家の強みと弱み/陰謀論とフェイクニュース | | |
2 民主主義にとっての沈黙の意味 | | |
沈黙の螺旋/もう一つの沈黙/埋没する多数派/二つの沈黙、二つの分断 | | |
3 望ましい沈黙、望ましい分断 | | |
価値判断をめぐる問題/フェミニズムとトランスジェンダー/争点と境界線 | | |
終章 単純さと複雑さのせめぎ合い | | |
陰口としてのカテゴリー化/シニシズムとは何か/シニシズム・陰謀論・ポピュリズム/他者の目に映る世界/単純さと複雑さのせめぎ合い | | |
注 | | |
あとがき | | |