| タイトル | 著者 | ページ |
| ココ・シャネルのことば | | |
| 「わたしは自分の人生が気に入らなかった。だからわたしは、自分の人生をつくり上げることにした。」 | | |
| 「どんなに退屈な本にも何かしら言いたいことがあり、真実がふくまれている。」 | | |
| 「だれもわたしに何も教えてくれなかった。わたしは自分ひとりですべてを覚えた。」 | | |
| 「翼を持たずに生まれてきたのなら、翼を生やすためにどんなことでもしなさい。」 | | |
| 「生い生きとしていれば、醜いということはない。」 | | |
| 「何よりわたしがいやだったのは、その帽子が頭に合っていなかったことだ。」 | | |
| 「わたしの頭に、無理やり秩序をおしこむ人たちがきらいだ。」 | | |
| 「わたしは自分が着たい服を着る。いつだってわたしは、自分の着たい服しかつくらない。」 | | |
| 「わたしは女性の体に自由を取りもどさせた。」 | | |
| 「わたしの愛する人は、わたしがやりたいことを止めたりしない。」 | | |
| 「すべてを失くし、ひとりぼっちになったとき、いつでも相談できる友人を1人持つこと。あとは仕事よ。」 | | |
| 「香水はだれかから贈られるだけでなく、自分のために買うもの。」 | | |
| 「本物は、コピーされる運命にある。」 | | |
| 「「シンプル」を「貧しい」ととらえるなんて、おろかなことだ。」 | | |
| 「20歳の顔は自然から授かったもの。30歳の顔は自分の生きざま。けれど50歳の顔には、自分の価値がにじみ出る。」 | | |
| 「「こうなりたい」と願い、その通りに実現してきた。その中で、人にきらわれたり、いやな女になったりしても気にしない。」 | | |
| 「退屈だったから。何もしないより、チャレンジして失敗するほうがよかったから。」 | | |
| 「モード(流行)ではなく、わたしはスタイルを生み出した。」 | | |
| ココ・シャネルの人生 | | |
| 1883年(生年)…エピソード(1) 姉妹でオーバージーヌの修道院へあずけられる | | |
| エピソード(2) ムーランの寄宿学校へ送られる | | |
| エピソード(3) 寄宿学校を出て、町の婦人服店ではたらきはじめる | | |
| エピソード(4) バルサンのもとで、上流階級のくらしを知る | | |
| エピソード(5) 最愛の人カペルに出会い、帽子店をひらく | | |
| エピソード(6) ドーヴィルに新しい店をオープン。女性の服も売りはじめる | | |
| エピソード(7) ジャージー素材の服をつくり、世界に注目される | | |
| エピソード(8) カペルの結婚。そして永遠の別れ | | |
| エピソード(9) 香水「No 5」を発売する | | |
| エピソード(10) 黒いシンプルな「リトル・ブラック・ドレス」が大人気に | | |
| エピソード(11) 恋人の死。そして第二次世界大戦 | | |
| エピソード(12) スイスへ移住ののち、ふたたびパリへ | | |
| 1971年(没年)…エピソード(13) 偉大なデザイナーの復活 | | |
| ココ・シャネルの年表 | | |
| 資料編 | | |
| クイズでわかる! ココ・シャネル | | |
| クイズでわかる! ココ・シャネル 答えと解説 | | |
| ここがすごい! ココ・シャネル | | |
| ファッションに革命を起こした ココ・シャネル | | |
| ココ・シャネルとかかわった人々 | | |
| ココ・シャネルが生きた時代 | | |
| ココ・シャネルを旅しよう | | |
| もっと知りたい! ココ・シャネル | | |
| 参考文献 | | |